スマホのはなし
間もなく東京オリンピックが開催されます。
コロナウィルスの影響が未だに大きい状況下での開催に、批判の声も少なくないようですが、今回はそんな話ではなくて。
前回東京オリンピックが開催されたのは昭和39年、1964年のことです。
それから5年後。アポロ11号は月面に着陸しました。
アポロ11号を支えていた当時のコンピュータの性能は、初代ファミリーコンピュータ以下だったとか。
ロケットを発射させるだけでも相当な労力と時間を要したことは、容易に想像がつきます。
一方、月面着陸から半世紀以上経った現在では、これらを遥かにしのぐ性能をもったスマホを手にしています。
スマホの登場はこれまでの生活を一変させました。わからないことはすぐ調べられるので、百科事典もイミダスもいりません。行き先までのナビもしてくれますから、地図も不要。
道を間違えてイライラすることもなくなりました。
道中好きな音楽が好きなだけ聴けますから、沢山のカセットを準備する必要もありません。
さらには財布代わりにも。
便利なことは良いのですが、ふと思うことがあります。
「これでいいのかな?」
百科事典を調べる手間暇がなくなったことは嬉しいこと。
でも、調べる行為は無意味なものだったのでしょうか?
道を間違えず、イライラしないことはありがたいことですが、それだけ道を覚えなくなったのは私だけでしょうか?
何か便利になった分だけ、味気ないものが増えたような気がします。それともう一つ。
便利になった分だけ、空いた時間が有効に使えているか、ということ。
スマホが欠かせない日常だからこそ、時にはスマホの電源を切って、面倒くさい手間暇かかるアナログな時間を過ごすことも大事なのかもしれませんね。
まぁ電源切る勇気はまだ持てませんが。【松村】